アンティークでロマンティック、永遠の少女性、西洋のビスクドール。例えるならばこれらの言葉が当てはまるのがピンクハウスです。可愛らしくてイノセントな雰囲気をこれでもかと全面に出しているのが大きな特徴です。
目まぐるしく変化するファッションの流行に流されず、とことん独自路線のピュアなデザインを常に提案しています。デザイナーとして長年ピンクハウスに携わった金子功は、ただ少女性を愛好していたわけでは決してなく、冷徹な目で日本人を見つめるシビアな感覚も持ち合わせていたのです。
デザイナー金子功は1939年に山口県に生まれ、高校卒業を機に東京へ進出、あの有名な文化服装学園に入学します。同級生には高田賢三やコシノジュンコなど後のビッグスターが揃っており、彼らと濃密な青春時代を過ごします。
学校卒業後はアドセンターに入社、そして伴侶となるモデルの立川ユリとも出会ってセンスを開花させます。当時、雑誌「anan」のデザイナーとしても活躍していましたがレギュラー終了後に自分のブランド、ピンクハウスを手掛けました。名前の由来は「女の子が大好きな色」「お母さんの古着がたくさん保管してある屋根裏」といった意味も含まれており、80年代のDCブランドブームの波に乗って全盛期を迎えます。
ピンクハウスと言えばレースやリボン、フリフリな装飾、スカートの丈が長く設定されているなどの特徴があります。これらはただアンティーク調のデザインというだけでなく、ゆったりめのウエスト仕様も含めて実は日本人の体形をうまく隠すという意味も込められています。
金子はいつまでも女性の心のどこかに存在する少女性や変身願望をしっかり踏まえながらも、日本人の肘や足が進んで露出するものではないと公言するような美的感覚を持ちます。このようにシビアな一面も見せながらもファッションの世界ではある種的を射ているのは自身の伴侶がハーフモデルであることもおそらく影響しているのでしょう。
それは時代の波に乗って大きくなり過ぎたピンクハウスを突き放して新しいブランドを幾つも立ち上げていったところからも理解できますし、また妻の立川ユリの年齢の変化にリンクさせての展開はすさまじい独善性を感じさせます。
金子は2007年にデザイナー活動を引退しており、現在のピンクハウスは彼不在の状態で展開している状況です。
全盛期を過ぎて久しいDCブランドは数多くあり、完全に潰えてしまったものやチープ路線に舵を切ったものなど様々です。しかしピンクハウスはそういった変化を受け入れずに独自のデザインと販売戦略で存在感を高めています。
実際今の感覚で見た場合でもその個性は飛びぬけていますから、最近ではラフォーレ原宿のセレクトショップが取り扱ったりするのも不思議ではありません。プリントの雰囲気が金子氏時代とは違ってしまったという意見もありますが、それでも一目でピンクハウスと分かるロマンティックなシルエットは健在、新しい風を吹き込む可能性は十分内包しているのです。
少女性を恥じらうことなく前面に押し出した大人向けのファッションというのは海外ではほとんど見当たらず、いかに独自路線なのかがよく分かります。
80年代の熱狂を知る世代には懐かしく、今の方には新鮮な感覚に映るピンクハウスは今後の飛躍も十分考えられる存在です。
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